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情緒【溢れる想い・立ち上がる力】

自立のヒントを書く前に、どうしても書いておかなければならないと思い
力量と情緒の関係について書く事にしました。


これまで、キャンプを通して、母性との癒着という事を書いてきましたが、
母性との癒着とは、それぞれの人たち一人一人の中にあり
それぞれの人の中にある社会性(父性)によって自ら絶たなければならない・・
私はそう考えています。

【過干渉傾向の部分】
癒着を絶たなければならない理由を7つほど書いてきましたが・・
逆に考えれば、これらの事を子供たちは癒着によって日々失いながら成長している
事になるのではないかと思います。
つまり、母性という大儀の元に、子供たちが本来持つべき情緒や力を奪われながら成長
していると
言う事になるのではないかと考えています。

【過保護傾向の部分】
奪っていく見返りとして、食べ物やおもちゃやDVD・ゲームなどを与える事により
母性のイメージするものとして、イメージ通り子供たちを操作してきました。

この、さもまったく異なる傾向であるかのような 過保護・過干渉
融合しながら同じ方向に偏った状態こそ、
現代の子供たちに表れている
不可解な傾向ではないでしょうか? 誰にとっても理解不能な状態を作っている
のではないかと考えています。


過保護と過干渉のバランスによって 現代の子供たちを表現してみると
過干渉のウエイトが高いと、一見おとなしそうで静かな子供になる傾向が強く
過保護(見返り)のウエイトが高いと、落ち着きがなく自分中心的な子供になる
傾向が強いのではないかと考えています。
しかし、本来子供たちが持つべき情緒や力を奪われている点では同じだと感じます。

そして、情緒や力を持たない集団が、小さな社会を形成している。
情緒や力を持たない集団、つまり、言葉では伝わりにくいものを
感じる能力を奪われてきた集団、思いいれを感じ取る能力を奪われてきた集団
なのでないでしょうか?その集団の言葉のやり取りやコミニュケーション取り方の現在の形が
学校であり学級であり、学級の中のグループに表れているのではないでしょうか。
その集団がもたらしている問題こそ、今、起こっている教育問題として
浮き彫りになっているのです。

そして、起こっている教育問題をひとつづつ考えていくと
ある一貫したものがある事に気づかされてしまいます。
人々は、詳細に問題の分析をし、問題改善やフォローの事ばかり考えていますが
私は、現在の教育現場で起こっている子供の問題のどれにも
人間味や温かさが感じにくくなっている
のではないかと思います。
そして、これが、一環している事であり 最も考えなければならない点で
あるのではないでしょうか?

子供たちの問題を議論する前に
なぜ、私たち大人が 教育問題を論議する中 議論の中に人間味や温かさを感じる事が
出来にくくなっているのかという事を考える必要があるのではないかと思います。

互いに自分の有利な方向へ導く為に 互いの粗を探しあい戒める合うのか?その論議の末、現在起こっている不登校やいじめ、学級崩壊などの問題に
何故、人間味がないのか?温かさを感じないのかという事を考えてみれば
違った意味で新しい考え方が生まれるのではないかと感じています。

そして、この大人達の議論の中の重苦しさこそ、現在のさまざまな教育問題の
解決のヒント
になるのではないかと考えています。
失言に怯え、言葉を選び発言する、それぞれの想いさえ伝えられないような
重苦しい雰囲気を作っているものを突き止めることこそ 子供たちの小さな問題を
解決する方法
に繋がっていくのではないかと考えています。

そして、子供の世界となんら変わりない事を、私たちはしているのだという認識
持たない限り 自分達が抱える家庭の子供たちの問題を 認識し捉える事は
出来ないのではないかと感じています。

まず、自分を認識し子供を認識する、大人側の家庭を認識し子供側の家庭を認識する
大人社会を認識し子供社会を認識する。
この基本的な事を、複雑だからと言う事を理由に目を背けているのではないでしょうか?

さも、私たちは、子供を認識し 子供側の家庭を認識し、子供社会を認識
している・しようとしている、

錯覚にうぬぼれているだけで、理解不能な子供たちへの
違和感だけを議論しているだけではないだろうか?

その責任を誰かに向けたり、追及する事で気を紛らわしているのではないだろうか?
そして、自分たちのことは見ないようにしている。後回しにしている。

よく聞く言葉だが、「親が変わらなければ 子供は変わらない」その通りだと思います。
ならば、社会が変わらなければ、子供社会も変わらない のだと思います。
社会という大きな物事として捉えようと、家庭という単位で物事を捉えようと
親子という小さな単位で物事を捉えようともなんら変わりはないと思うのです。

そして、この認識が変わらない限り、現在自分が抱える問題を解決する事が
難しいのではないか、遠回りしているのではないか。。
そう感じます。
何もかも、他者のせい、学校のせい、社会のせいばかりに意識が向いていては
まったく違うものとして捉え
ていては、子供に自立の道を示す事は出来ないのだと
私は、考えています。
私たち一人一人の認識が、社会を変えてゆく 家庭を変えてゆく
親子関係を変えてゆく、その一歩になるのではないでしょうか。。


子供の自立のヒントを書く前に、どうしても知っていただきたい
認識を変えていただきたいという願いをこめて書きました。





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初めまして。

足後から、お伺いさせて頂きました。
心の芯を突く内容で、今は「そうだよな~、そうなんだよね!」と思える内容でも、以前の私であれば「そんな事わかってるよ」(実際には解ってませんでした。解っていると思う事で逃げている自分がいました)と言って読まない内容がギッシリ詰まっていました。

ありがとうございました。
また、お邪魔せせて頂きます。

初めまして

読んで頂いて、ありがとうございます。
光希さんの言いたい事、とてもよく分かります。
それぞれの段階を踏まなければ、自分と向き合うことは出来ませんよね。
心の痛みと最終段階で向き合うとき、それを受け入れる為の
何故こうなったのかという理由が必要なのではないかと考えています。
そして、自分自身と戦っていたのだという、悲しさを受け入れる為に
たくさんの人たちの温かさが必要なのかもしれません。。

私は、心を痛める時間をどうすれば、短くできるのか・・・
どうすれば、軽減できるのか、という事を考えた結果
まず、壊れる工程を詳細に書く事が、回復のヒントの気付きに繋がるのではないかと、そう考えて、書いてきました。

そして、光希さんは、その一つ一つをもがきながらここまで来られたのですね。本当に素晴らしい事だと思います。
光希さんのコメントから、そんな感じを受け取りました。

色々、失礼な事があるかもしれませんがお許し下さい。

PS:ご親族の病気心配ですね<(_ _)>

こんばんは♪

遅くなりましたが、前回のコメントに対する温かいお言葉
本当にありがとうございます。

きんたろうさんの言葉に、私もウルウルしてしまいました(T_T)♪

この記事を読んで思ったのですが
母は「情緒」「感動する事」「家族の温かさ」・・・
それらの持つ、素敵なチカラを自身の体験として
知っていたんだろうなぁと思いました。

そして、それを精一杯私にも伝えようとしてくれた。
ありがたいことです。

ちょっと残念なのは、それらを大切に感じることを
「強制」されたこと、かな(^^;

母自身が、それらの事、そして私の事を
大切に思うが故の「教育」だったのでしょうが
私には私の人生があり、学ぶ過程は人それぞれだと思うのです。

もちろん母の教育は、しっかり私に
沢山の大切なことを沁み込ませてくれました。
本当に感謝していますし、母の娘として
生まれてきてよかったなと思います。

母は私に色々なことを「強制」してきたように
旦那さんである父にも「自分と同じ様に感じること」を
求める傾向にありました。

ですが、父と母は違う人間です(当たり前ですが。笑)
なかなか母の思う通りにはならないことも
沢山あったのでしょう。

そして父は父で、色々と感じていたようです。
俺はお母さんには嫌われているから・・・
なんて事を、昔聞いた・・・そんな事も思い出しました。


今回私がうつ病になり、母とどう接していいのかが
解らなくなった時、長年母と連れ添ってきた父と話をしたら
何かヒントが得られるかもしれない、と思ったことがありました。

「まぁさ、あの人は、ああいう人だから」

父が言った言葉です。
その通りなんですよね。

聞いた時は、ちょっと冷たい言葉の様な印象も受けたのですが
時間が経ってみて、父の言っていた事の意味が理解できました。

父はそれぞれの人間の「ありのまま」を見ていたんですね。
私も、自分のありのままに気付きました。
自分の事も、人のことも「愛しい」と感じられるようになりました。

この間お話したとおり、母はまだ不安定な状態です。
でも、きっと大丈夫!っていう気がしています。

段々と家族の関係が温かい物に変化してきています。
ちょっとしたボタンの掛け違い、の様なものだった気もします。

家族が安心して笑えるようになってきました♪
一緒に居て窮屈さを感じなくなってきました♪

来月は祖父の墓参りをしに、母とプチ旅行です♪
二人でその日が来るのを楽しみにしているんですよ(^^)
理屈や理論じゃないんですよね。
人間の心は(*゜v゜*)


思い浮かぶがままにツラツラ書いてしまい・・・
また長文になってしまいました(^^;すみません。

またお邪魔しますね♪
風邪が流行っているようですので
きんたろうさんも気をつけて下さいね!

我が家では私から旦那に伝染しちゃいました(笑)☆

自分のチカラで

でも、自分がチカラを蓄えることが出来るのは・・・
自分がチカラを発揮することが出来るのは・・・
「人のチカラ」のおかげなんだよね。
それって「愛のチカラ」なんだよね。


ゆり☆さんのブログの記事を読んで、ウルッときてしまいました。(T^T)
そして、当たり前の朝・・・
当たり前をどう捉えるのか、当たり前にありがたいと感謝できるのか?
自分を受け入れる為の勇気や力になりますよね♪
ほんの小さな気づきを大きな力に変える方法を ゆり☆さんは捉えられたのですね。。

そして、お母さんの癒着と愛情を区別して考える事が出来るのだと
ゆり☆さんの文章を読んでいて強く感じます。

母性との癒着とは、それぞれの人たち一人一人の中にあり
それぞれの人の中にある社会性(父性)によって自ら絶たなければならない・・


まさに、目の前に、その事を成し遂げた人が ここにいる!のだという
私が、言いたかった事を、具体的にコメントとして
残してくれる人が居るなんて思いませんでした。。

私が、情緒【溢れる思い、立ち上がる力】この文章の意味は
ゆり☆さんから、頂いたコメントそのものなんです。
母親から注がれた愛情は愛情として、、自分のものとし(チカラ)
癒着(強制)との区切りをつける(絶つ) 
そして、互いを認める(ありのままの母親を認める・自分を認める)事が
揺ぎ無きチカラを手にすることではないかと感じています。

ブログを書き続けて良かったと 心から、そう思えます。
そして、これからも、書きづつけて行きたいと思います。
ゆり☆さんのコメント、本当に励みになりました。ありがとう。

ゆり☆さんの家族全員に”自分のチカラ”を伝えてあげてくださいね♪


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