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無力感と思いやり【互いを生かしあう方法】

先日、無力感を味合わせられた先生の話を書きましたが・・
最終的には、夫婦間の問題や社会問題まで繋がる事になりました。
さて、この社会問題まで広がる無力感が心を荒れさせ 
違う場所で人々が 互いに責め続ければ おそらく、もっと社会は荒れていく事でしょう。



何気なく無力感を味あわせるということ
自体を"知らなければ" "意識しなければ"改善する策さえも見つからないと思います。
読んでいただく方の中には、思わず目を背けたくなるような事も書かなければなりません
しかし、ここまで書かなければならないほど社会は複雑になっているのです。


もし、本当に、今、抱えている家庭の問題や自分の心の問題を解決しようと思うなら

無力感を与えてきた 自分にいつか気づかなければならないのです。
無力感を与えられてきた、自分にいつか気づかなければならないのです。


そして、自分を生かすために 人を生かすという事に気づく事が出来れば
自分の周りにいる家族 誰一人、ダメな人間はいないということを知る事になるのです。


さて、無力感を味あわすという事を もう一度 振り返ってみたいと思います。
ほんの日常の些細な事の中にも、無力感を味合わす言葉がや視線・雰囲気など
まったく意識せずに使われ、平然と容赦なく行われているのです。

そして、それは正しいというあたかも大切なものかのように行われます。
子供が何かしようとすると、じ~っと見つめ 自分が気に入らければ
「ああっ!貸してごらん、これはこうじゃない こうするの」・・・
子供はたちまち無力感を覚えることでしょう。


これを、毎日繰り返すとすれば 圧倒的無力感に「どうせ、僕が何をしても叱られる」と言う投げやりな心を作り出します。
そして、子供は行動を起こすたびに、「また、叱られる」「また、直される」
という事を常に頭に描くようになり 親への信頼と気力を失います。
その強制力により 子供たちは 荒れる心(ウザイ)か荒れる心を内部にこめるかという
分岐点が生まれてくる
のではないでしょうか?


母親の作った料理を 当たり前かのように食べる父親 
ただ、腹が満たれば良いかのように食べ物を口に放り込むだけ・・・
これだけでも、毎日繰り返せば 母親に無力感を味あわせる事になります。
それを見て育つ子供たちも、同じようになる事でしょう
そして、家族中で 母親に 無力感を味合わせることになり
「どうせ、私は作るだけの人」「何の為にいるの 私?」と投げやりになり
荒れた心が、家族の言動に目を向けさせイライラしたり
子供を叱ってばっかりという事になるのではないでしょうか?


父親が、子供たちをたくましくする為に キャンプに行こうと提案しました。
「誰が準備するの!」「子供たちをちゃんと見ていてくれるの?」
「なんかあったらどうするの?」
行く前から 自分の都合と不安を訴え
話も聞こうとしないで 色々 理由をつけて父親の意見を却下する。
その正当性を突きつけられ何も出来ない父親は無力感に、家庭に興味を無くす。


ほんの些細な、会話の中にも 人に無力感を与える事が出来るのです。
そして、その小さな積み重ねが 家族間の大きな溝を作り出すのではないでしょうか?


それぞれ、家族の誰一人でも、この状態に陥れば、やがて、家族中が無力感に
心荒れ果て覆いつくし、その弊害として問題が起こる事になるでしょう



それぞれ、家族の誰しもプロセスがあるのです。だからこそ、そこに・・・

”思いやり”というものがあれば、家の中は変わっていくのではないでしょうか?
そのためには、もう一度、思いやりという言葉を考え直してみる必要があるのです。


さて、思いやりとは 一体なんでしょうか?自分の疲れたときに、自分の都合よく タイミングよく相手が差し伸べる言動でしょうか?
自分が悲しい時、自分の思っている通りの慰めを相手がいってくれることでしょうか?確かに、このような事が出来る人もいますし、そういう方は、
”思いやりのある人”として、周りの人たちから言われている事だろうと思います。


しかし、これらは、自分の欲求を上手に満たしてくれる人、気配りの出来る人
なのではないでしょうか?


人は、一定の距離を置いた関係(恋人)の時は思いやりがあって
距離が縮まれば(結婚)思いやりが無いとお互いになりがちです。
何故、そんな事になるのでしょうか?
私たちは、思いやりがある という事を間違って考えているのではないでしょうか?


思いやりとは、自分の生きてきた中で 思いいれのある部分に
存在するのではないかと思うのです。

思い入れ、つまり、その人の感動や苦労してきた事や努力してきた事
物凄く楽しかった事 嬉しかった事の中にあるのではないでしょうか?

感動・苦労・努力 その中に、嘆きや悲しみ喜び怒りがあり、
その経験の中に強く感じた思いの記憶・・・・

その記憶を、今、対峙をしている相手 行動をしている相手に対して感じ取り
あふれ出す感情を言動する事ではないかと思います。

相手の言動を見聞きし、共感し、思いやれる気持ちが溢れ言葉になったものが
“思いやりのある言葉”なのではないでしょうか?


映画を見て、泣けるシーンはそれぞれ違います。ワクワクすることもそれぞれ違います。
そして、誰もが、自分の思い入れのある事を誰かに理解されたい 伝えたいはずです。もし、本当の意味で 自分の思い入れを理解してくれる人がいるなら。
伝わったと感じる事ができたなら、多分、嬉しくてたまらないはずだと思います。
感動で、涙が出てくるかもしれません・・・・


そして、自分の思い入れを理解してくれた人の思い入れを感じよう、、理解しようそう、懸命になるのではないでしょうか?
そこに、互いの思い入れという共通のものが生まれ 
互いを思いやるという事になるのではないでしょうか?


今、一生懸命 鉄棒の練習をしている我が子がいます。やめようとしません。
時間が無いにもかかわらず、我が子の思い入れ感じよう、理解しようと
心の中で励まし 見守り、待つ事 そこに、二人の思い入れが生まれるのです。
やり遂げた後、二人でニッコリと笑い合う、そこに、信頼と気力が満ち
互いを思いやる気持ちがいつしか育ってくるのではないでしょうか?



互いに、思いやりが無いと嘆いていては、思いやりなど生まれてくるはずはありません。相手の思い入れを、感じようとし、理解し 育てようと
しなければ生まれてこないのです。
思い入れを育て、思いやりを育む、人を生かし、自分を生かすそこに互いを生かしあうという事の意味が見えてくるのではないでしょうか?


いつも、くだらない事を言っているなと思っている。父親の一言が
子供の心を 和ませたり楽にさせることだってあるのです。
※ちびまるこちゃんを見て心和みませんか?
今、一緒に暮らす人たちは、縁あって一緒にいるのだとすれば、
互いに無意識に無力にしあっていないかを考え もし、その事に気づいたならば・・・
気づいた人が、気づいていない家族の思い入れを育んでみてはいかがでしょうか
もしかしたら、自分が生かされている事に気づくかもしれません。
最後に、初めから親の事を愛していない子供はいないということを思い返し
父親、母親 互いにどちらを無力にしようとも 
子供は見抜いているのではないでしょうか・・心痛めているのではないでしょうか


今からでも遅くはありません。子供たちが無力感の塊になる前に
大人たちが、少しでも早く気づける事を願いこれからも書く事にします。


思わす目を背けたくなった人たちには、大変申し訳ありません
私が、あまり、幅広く交流しない理由は、相手を知ってしまうと
その人の事が頭をよぎり、核心を書けなくなってしまうというのが理由のひとつです。
コメントを頂く方には、大変失礼な事もあるかもしれませんが
ご無礼をお許し下さい・・・・





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