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過干渉【先読みの不安・意に沿う不安2】

よく本で見かける 【良い子を演じる】とは何なのか?
この事を、詳しく書いてある本を私は見たことが無い・・・

いつの間にか 相手の望む行動をしている そんな自分に疲れを感じ
数え切れないほどの相手の行動を先読みして 人の意に沿う自分を嫌悪し
持ちきれなくなり爆発することでバランスを取り 爆発した後悔が 
奈落の底まで自分を落としこむ(落ち込む)・・・・

この自分ではどうすることも出来ない身につき絡み付いて離れない
意に沿う先読み・不安の先読みは 自分の知らない間に自己を蝕む仕組みを
解明しなければ 苦しさから解き放つきっかけさえ掴めないのではないか?
自分なりに勝手に書いてみることにしました。


よくアダルトチルドレンの本やサイト等では、呪縛という言葉で書き綴られ
呪縛という一言で処理され納得してしまう方も多いかと思われますが・・・
心痛める人たちの呪縛はいったいどんなもので構成されているのか
そんなことを、書き綴ったものは見かけたこともありませんが・・
このことの詳細を 示すことはとても重要なことではないかと考えています。

先日書きました。過保護過干渉【不安の先読み・意に沿う先読み】でも述べたように
沢山の情報は 沢山の選択肢を生み それが自分にとっての正しい情報選択だという
確信に近い状態が
 自分以外の人間の行動を判断する基準を作り出します。

つまり、正しいか正しくないか そういう天秤を心の中に作り
相手の行動を量り 判断することにより 自分の考えと言う決定を下すのですが
過保護・過干渉傾向にある現代社会においては 相手の行動を天秤にかける頻度が
あまりにも多く 正か悪かということを問いただす機会が増え
エスカレートしてきたのではないかと考えています。

この正か悪か 得か損かを 沢山の情報選択から突き詰めていき
基準の高い人がいれば その周りの人々の行動は全て 悪か損になります。
その基準が高い人が親であれば、その周りの子供たちの行動のほとんどが悪か損になり
子供たちの行動が不快に感じるのではないでしょうか?

沢山の情報は、沢山の選択肢を与え便利な社会生活を得ると同時に
その事を満たせなかった時の不快を多々作り出す
ことも知っておかなければなりません

そして、大人達が不快感情を持った時、どのような言動を選択するのか?
以前、沈黙の不安ということを書いてみましたが 不快感情を持った時
その事を黙って見過ごせると考えられるでしょうか。


自分の中で 正しいと思われる情報があり 目の前で正しくない行動を目の当たりにして
何も言わず 不快を感情としても表さずいることが出来るのか?
もし沈黙することが出来るとするなら 
自分より力関係が上の人の場合に多いのではないでしょうか。

仮に、あなたが職場で上司に対して上のようなことが繰り返された場合
沈黙を守ることが 果たして出来るのでしょうか?私自身も難しいことだと感じますし 読んでいただいている方も
同じように考えられているのではないかと思います。

そして、力関係の中で 相手の粗悪な行動を見聞きし不快を受け繰り返すことで 私たちは、どのような精神状態になっていくことでしょう・・・
意見することも出来ず、作り笑いをし我慢する そして、上司のいないところで
愚痴をこぼし 違うところで鬱憤をはらし気を取り直す。

私たちは、相手からどんな不快を受けたとしても逃げ場があるということだけで
気を取り直し 自分を癒し 立ち直り また明日へと繋げて行くのだろうと思います。
もし、正当性という名の元において 子供たちの逃げ場を塞いでしまえば
子供たちの精神状態はどのようになってゆくでしょうか。

大人たちは、子供たちの逃げ場を塞ぐために ありとあらゆる理屈と処罰を駆使し 愛情(受け入れる)という最も必要な餌を目の前にぶら下げ感情の逃げ場をを塞ぎ 行き場の無い内なる心にやがて押しつぶされる。
そして、逃げ場を塞ぐ支配関係の中で生まれるものが 
先読みの不安・意に沿う不安ではないかと感じています。

逃げ場を塞ぐ支配関係の中で 最も重要と考えられることは
支配者の意向(子供がどうあって欲しいか)です。
そして、相手の感情とはお構いなしに 
自分の基準だけで不快を言動することだと思います。

二つ目に 子供にとって最も必要な愛情(受け入れる)を餌にしていないか
そして、その事を子供を戒める処罰として使っていないかという事が重要で
子供を沈黙の不安を植えつける為には必要不可欠なのではないかと思います。
後に、このことが否定される感覚を強く引き出すことになり
この感覚が 酷い自己嫌悪を長引かせる原因ともなります。


三つ目に 最も高度である 子供が行動を起こす前に 先読みして
自分の不快感情を受ける前に布石や誘導
で子供をコントロールすることです。
これらのことは 過干渉の世代間連鎖と情報量によって 進化
いとも簡単に 現代のごく普通の家庭でも行われていることだと思います。
これが、訳もわからず心苦しむというものを作り出すのではないかと感じています。

続きは本へ・・・・・・・


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テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

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こんばんわ^^

はじめまして!訪問者の履歴からジャンプしてきました^^
貴ブログを読んでいると、なんとな~く私がやりたい事と趣旨が似ている気がしたので、勝手ながら貴ブログをリンクさせて頂きましたのでご挨拶がてらですが、コメントを残しておきます。
これからも、日本の将来を担うべく子供達を守れる様な、そんなブログを書いてください^^
また、ちょくちょく来ますのでヨロシクお願いします。

緒女さん こんにちわ
長い文章 読んでいただいてありがとうございます。

前面に押し出すような力強いブログに感心しました。
私のブログは そこまでアクティブなものではありませんが
心の壊れる工程を独学で切々と書いたものです。
どちらかというと、心痛めている方たちがなぜこうなったのか?
そういう面からサポートしたいと思っているのですが・・
あまりにもダイレクトなキーワードが入りすぎているので
読んだら落ち込む人もいるかもしれませんが
一人でも、向き合ってくれることを信じて書き続けたいと思ってます。
本当は、沢山の人たちに声をかけて生きたいと思っているのですが・・
文を書くのに精一杯で・・・・・(^^;)



はじめまして。
miseryと申します。
いつも拝見させていただいております。

今回のお話で自分を見つけることができました。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。

事後報告で申し訳ありませんが、あまりの出来事に、失礼ながら、引用させていただきました。
もし、ご迷惑でしたら削除させていただきますので、お手数ですがご一報くださると幸いです。

これからも、お邪魔させてください。
本当にありがとうございました。

先ほど拝見させていただきました。
トラックバックかけようかと思いましたが・・
ビックリされると困るのでやめました。(笑

引用していただいてありがとうございます。
お役に立てて、私も本当に嬉しいです♪

どんな深い闇の中にいようとも 光を見出せることを
実体験だけでなく 文章にして証明することを目標にしています。

また一つ、、書く張り合いが出来ました。

はじめまして、なつおといいます。
最近つめて通わせていただいています。

とにかく拝見しながら
涙がでました。
沢山の言葉たちに癒されるおもいです。
あぁ...私が感じてることってここに雄弁に語ってくれている
そんな風に思います。

わたしのブログはまだまだ自分自身を表現出来てないので
もう少し落ち着いたらここへURLも載せさせていただきます;

更新を心待ちにしています。

なつおさんですか♪
はじめまして きんたろうと申します よろしくお願いします。

沢山の長い文章 読んでいただいたのですね・・・
ありがとうございます。
今、徹底的に頭の中にあることを偽り無く書き綴りまとめることが
今の自分の目標としているところです。
書いてしまわなければ 何も始まらない
そんな気がしているのです・・・

回復するため 一緒に考えていくことも
書き終わらなければ 始まらないような気がしています。
なつおさんの ぶろぐ楽しみにしていますよ。

はじめまして

はじめまして。  SNAFKINわたこと申します。
miseryさんのところでコメントを拝見し、こちらに廻って来させてもらいました。  
思春期の2児を抱える母親としては、こちらのブログの記事全てがとても気になるものですが、敢えて、『逃げ場』と言う言葉を選ばせていただきました。

「子供を叱るときは、冷静に、子供の言い分を聞いてから、その事象だけを叱り子供の人格否定はいけない、逃げ場のある叱り方を」
このどれもがよく耳にする言葉です。  が、これらのお題目を唱える人たちの何%が、本当にそのことを理解し実行出来ているというのでしょう?  また、具体例を挙げて説明できるのでしょう? 

叱っている最中に、自分の感情に流されずに子供に向きあえる母親になりたいと、常に心掛けているのですが、如何せん、自分の未熟さが子供を叱っているときに一番見えてしまいます。  きんたろうさんのブログを拝見し、いつも心に引っかかっていることを伺ってみたくなりました。
「子供の心の逃げ場のある叱り方」って、どういう叱り方ですか?
子供達が思春期になり、叱ることひとつも重要なコミュニケーションだとつくづく思います。  もしよろしければ、きんたろうさんのお考えをお聞かせ下さい。

始めての訪問で、大変ぶしつけかと思ったのですが、お許し下さい。
長々と失礼しました。

わたこさんへ

はじめまして、わたこさん コメントありがとうございます。
そして、問いかけありがとうございます。
【逃げ場のある叱り方】ですね。
具体的なことは、なかなか考える機会がないので
わたこさんの問いかけ 大変勉強になります。

子供を叱る時 逃げ場があるかないかは まず目にあると考えています。
子供にとって、叱る言葉や理屈はあまりよく聞いてないのではないかという事です。
子供を叱る時 親である自分の目の奥に何があるか?そんなことを良く考えます
自分にとっての不快や理想とする子供像を背負って叱っていないか?
目とその上の脳だけで叱っていないか?
自分の胸に手を当て叱ってみると案外面白い事が起るかもしれません・・

親である私達が 完璧だと思えば思うほど その思い上がりが
高いところから見下げる視線を作り 居心地の悪い家の中に居場所を無くす
意識していなくても子供には そんな雰囲気は伝わるのではないかと思います。
どんな内容で叱られたとしても 私たち親の背景にある要求というものが
子供には見えているのではないかと感じるのです・・・・
結局、良かれと思って叱っていても 子供たちは 叱ってる私たちの
後ろのあるものだけに気をとられ 「また始まった・・・」という感覚しか
ないのではないかと考えてみると・・
この「また始まった・・」は 私たち親の気分が晴れるまで終わらない
ということでも在るのではないでしょうか?
親の気分が晴れるまで 子供たちがうなずくまで 逃げ場は無いということです。
そんな一方通行の叱りを幼い頃から繰り返していけば
思春期になる頃には ほとほと嫌気がさして その逃げ場の無いイライラを
何かに向けなければならなくなるのではないかと考えています。

私たち大人でも、厳しい評価の視線の中で監視され仕事をしたとすれば
その閉塞された環境に逃げ場の無さを感じることだろうと思います。
もしその厳しい評価をする人が ニコッと笑ってくれたら・・
心が少し緩和され受け入れて貰えたと言う感覚が気持ちをホッとさせる
のではないでしょうか?

厳しい評価・視線・監視こんなオーラを背中にしょっているとし
叱っている時も 叱らない時も 長い時を過ごすとしたら
ずっと叱られているのと同じではないでしょうか?
そして時折見せる 何の意図も無い笑顔こそ 逃げ場(受け入れる)
という風に考えてみました。
親の意図が強ければ強いほど エスカレートした叱りにより
あからさまになり はっきりとした【逃げ場の無い叱り方】という形を
浮き彫りにするだけの事なのかもしれません。

最終的な結論として考えてみると 叱られる原因になることだけを見て
指摘しているのか 自分の理想や意図を持ち続け見つめているのか指摘しているのか
そして、叱った後 子供たちを受け入れる区切りが付いているのか?
叱ることより、受け入れることを中心に考えたほうが
子供も親である私たちも楽ではないかと思いました。

良い人間にする為に叱り続け 叱るタイミングや理論ばかりに気をとられ
暖かい場所や情緒を見失う事が 逃げ場のない叱り方ではないかと考えました。

わたこさん 改めて考える機会を与えてくださってありがとうございます。
答えになっているかどうかは、わかりませんけれども
私も、思い当たる節に 心突っつかれながら書きました。
反省しなければなりません・・・・(苦笑
 

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ありがとうございます

早速のご回答ありがとうございます。
きんたろうさんのお返事の中に考えさせられる部分がたくさんありました。

① 自分にとっての不快や理想とする子供像を背負って叱っていないか?
悪いことをした・人の嫌がることを言った、した・生命に危険が及ぶことをした・周囲に迷惑を掛けた・・・と言ったその事象以外のことが叱る焦点となっているんですよね。  つまり、叱る側の思い通りにならいことへの嫌悪感の吐き出しを子供に向かわせていることになるのですね。  確かにこれはドキッとしました。  叱るというより責めるに近いものがありますね。  自分を戒めなければと思います。

② 叱った後 子供たちを受け入れる区切りが付いているのか?
この切り替えは大事ですよね。  叱った後、いつまでもその感情を引きずっている自分がいます。  案外叱られた子供達の方が、感情の切り替えが早いような気がします。  「叱られてお腹すいっちゃったからおやつ食べていい?」って、うちの子達は聞いたりしますもん(笑)。  わかってないのかなあ、と思いつつも、私もおなかがすいてたりするので結局おやつタイムになったりします。  きんたろうさんが仰った『受け入れる区切り』を肝に銘じておきます。

③ 叱るタイミングや理論ばかりに気をとられ暖かい場所や情緒を見失う事が 逃げ場のない叱り方ではないか
ん~、私は、叱っているその最中の逃げ場ばかりに気を取られていましたが、普段の暮らしそのものが逃げ場であり居場所であるということですね。  これは考えてもみませんでした。  頭をガツンとやられた気分です。  

叱っているときとそうでないときの区切り、そしてそうでないときの生活に重点をおくという事が大事なのですね。  親の私の心の余裕が、そのまま子供達の逃げ場になるということでしょうか?

わかりやすくご丁寧なご回答を本当にありがとうございました。
きんたろうさんのお考えを基に、また自分でも考えていきたいと思います。  そのうち私のブログにUPできればいいのですが、如何せん無精者なので・・・。
貴重なお時間を割いてくださり、本当にありがとうございました。

こちらこそです わたこさん
自分でも書きながら、逃げ場のないしかり方って何だろう?
自分の答えは どこへ流れていくのだろう?
そんな感覚で書いていったんですよ・・・
そうしたら、思わぬ方向へ 答えが出てしまいました。(汗

心の奥深い部分で矛盾が無いか自問し書いているので
凄く時間がかかりましたが・・
気が付かせていただいた わたこさんに感謝します。

PS:自分の胸に手を当てて叱る というのは 本当に胸に手を当てる
   ということです。自分の手のぬくもりが胸に伝わる時
   心って脳だけで感じているんじゃないんだなぁーって・・・
プロフィール

きんたろう

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