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自力への相殺【届かない言葉】

心傷める人のご褒美と相殺【ACの回復を妨げているもの】

上司との相殺の中で、もうひとつ考えなければならない事があります。

自分の自力を認めたくないという欲求です。

つまり、力がないのに、上司の指摘に対して不満ばかり募る。。

この場合、上司への不満は一方的なものになります。

つまり、何を聞いても・・・

残念ながら、上司の思いやりのある言葉も、無い言葉も

違いが分からない状態を示す事になります。

世代間の意識が年々伝わりにくくなっているのも

この事による弊害ではないかと考えています。


自力の無さを、誤魔化し開き直る姿こそ

最近の、家族形態の歴史が物語っているのではないかと思うのです。

親子の関係でも、この事が起こっていると考えています。


楽なほう、楽なほうに考えを変えていった大人たちは

自分を楽な方に身をおくため、その事を、次の世代に教え込み

次第に、自力を失い それに見合う理論を持ち出し

世代を通しながら、力を奪われてゆく、自分に言い訳や言い逃れを理論化し

歪んだ正当性を訴える事により、身を守ってきたのかもしれません。

そして、身を守ってきた自分の経験が・・・


力を持たない子供たちに大人の都合の良い理論を植えつけて行くことになったのかもしれません。



力を持たない人間は、相手をさげすんだり気にしないようにしたりする(ご褒美)事でバランスをとろうとします。

そして、力を経験する前に、経験を否定(さげすむ)された子供たちが

自分自身の自力の無さを、学級崩壊や、不登校、いじめという形で示しているのでは

ないでしょうか?

歴史を振り返れば、嫁姑問題など、核家族化に繋がることなども

同じような事ではないかと、考えています。


これらの事は、力関係が上に立つものの責任でありますが・・

ここいらで、私たちも気づくときが着たのではないかと思うのです。

どこかで、断ち切らなければならない・・・・



それに気づくものだけが、精神の傲慢に歯止めをかけられるのではないかと

そう思いたいのです。

力なき人間の集まりは、やがて、力なき塊の中で

言い訳を慰めとし、

言い訳という慰めが、互いの力を奪う事になるのではないのでしょうか?

力を奪い合ったその末に、見えてくるのが・・・・


自力への相殺なのです。

※言い訳(理論化)誤魔化し・開き直りで相殺し慰める事がご褒美の正体なのです。




互いに慰め言い訳を言い合うこの事で自分自身の自力の無さを相殺する事により

自らの手で奪っているという事実に気づく事こそ・・

互いの力を奪う事に気づく一歩なのかもしれません。


相手に力をつけるか、奪うのかは、

自分が相殺しているものに気づき、自分の自力と相手とのバランスを考える事が

できる人なのかもしれませんね。

自力の無い人間に、判断は難しいのです。

判断ができないという事は、人との関係において

バランスをとるという事が難しいのです。


自力があるもの(経験があるもの)自力がないもの(経験がないもの)では

ものを捉える尺度が違うのではないでしょうか?

同じ年代を歩んで来た人であろうと

PTAの会長をした人としない人では 感覚に大きな差が出てきます。

病気を経験した人と、病気を経験したことのない人では感覚の違いはあからさまです。

しかし、これらの例の中には、それぞれの濃厚な体験があります。


人間は、これらの大変さを推測する事により、

相手を尊重する気持ちを抱いてきたのだと考えています。

もっと簡単に言わせてもらえば、経験の無い人間の

受け取る側の感覚は変わってきている
のではないのでしょうか?

※世代間の大きな開きを感じた事がありませんか?そこに、経験の違いがあります。

だとすれば、大変な事を省いてきた大人や親の説得力の無い言葉は

私たちが、薄っぺらな上司の言葉に気づく事同様、

子供たちにも見抜かれている事に変わりありません。



現代の親が大変だとは、私は思いません。。

子供たちも、その事を分かっていると思います。

だからこそ、うわべだけの相殺では、通用しないのです。

大変でないにもかかわらず。

大変を装い、指摘や要求や誘導を行う姿は、子供にとってこの上なく心苦しいのではないでしょうか?


それらの事は、ACであろうと無かろうと、

人であるならば、本能的に分かるはずです。

だからこそ、人は苦しむ・・・

その大切な人を苦しめないように、自分を苦しめる・・・・・・・・

しかしながら、自力の無い人間は、庇う事も出来ない。。

自力無き人間は、人を庇う事も出来ず、人を非難したり気にしないようにする事により

自分の逃げ道を見出し自分の場所を死守しようとするのです。


だから、人の言葉を遠ざける・・・・

それは、届かない言葉・・・・

聞き入れたくない言葉・・・・・・


人を守るために自分が作った壁であり、誰にも崩せない壁となります。


それが、どんなに、自分の心を自立させるのを遠ざけているのか・・

閉ざした心のの壁を厚くしているのか・・・

私たち大人は、もう、気づくべきではないでしょうか?


愛する人に傷つけられ、愛する人を守るために自分自身が築いてきた壁が

自らを苦しめるという、不幸を黙ってみているわけには行きません。

深く、深く、深く、傷つけられた事実が・・・

幾重にも、自分を閉ざす壁を創ってきたのなら・・・・

その分厚い壁を通す、言葉を持ちたい・・・

言葉を届け、言葉を目印に

私に会いに着て欲しいのです。


届け・・

届け・・・

届け・・・・・

届け!!!!!!!!!!!



届かない言葉

きんたろう




この文章は、記憶の操作を読まないと理解できないかもしれません。

もしよろしければ、本のほうも読んでみてください。

心の相殺は、バランスを示すものであります。

相殺の所在が、自分の中でどのような偏りを示しているかを知る事によって

自分を回復する方向へ導いてくれると考えています。

次回は、心に深い傷を持つ人たちが、どのような記憶の操作を起こし

自分を、そして、愛する人を守るために相殺を行ってきたのかを書いてみたいと思います。






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