文章で自分の心を振り返る理由【家族の問題を解決する為に】

先日、「空気読めよ!」という記事を書きましたが。
私も、空気が読めないときもありますし、誰しも雰囲気を読めない事が
その場によってはあるかと思います。

そして、場の空気を読めなかった事は、指摘されるまでなかなか気づかないものです。

自分が、空気読めた場合は、得意げだったり、空気読めない人を
目配せをしたり、ため息をついたり 哀れんだり平気で出来たりします。

一方、空気が読めなかった場合は、いつまでも気づかないで排除されるか
間接的に指摘されて大変傷ついたりし、空気を読む事に囚われ
自分の考え方を見失ってゆく事になります。

互いが、互いの空気を読み合い、牽制しあっていれば
立場を優位にする事や、人の意に沿っているか という事ばかりに気をとられ
自分というものを見失っていくのではないでしょうか?

空気を読む事と、人に対する気遣いは違うのです

一旦、その枠をはずして、物事を考える必要があるのではないかと感じています。

そして、この空気読めよという風潮は
放送や雑誌などの思考の強い影響がエスカレートした形なのではないかと思うのです。


 

これらの事は、学者や本、著名な人々を通し色々な形で影響を受け

正しい知識や常識的なものかのように思考を固められてしまい、

自分本来の考え方や、判断の仕方さえ忙殺される事もあるのです。 


影響に乗っかる形で利益を得る企業の計算による思惑だったり

強いては、一部のグループのリーダーの意のままに、自分の意思を振りほどく事に

なって言ったのかもしれません・・・ 



自分の意思とは反発し、意に沿うことで 自らの意思のなさという不安を

思惑(おもわく)に 託すことによって、

人間関係や家族の問題や子供の問題を委ねてしまった結果、今があります。 


私たち大人の影響を受けて、現在、子供の人間関係を 作っていると考えれば

面白いものが見えてくるかもしれません。



人間が楽したいと思えば思うほど・・・それらの思惑は増え・・・

共感するもの(都合の良いものを書き)が受け入れられ、・・

楽をしたほど、尊厳は失われ、自分にとっての尊厳を求める人が増える・・・・

そして、尊厳を埋めるために思想を求める・・・・

この相対した思惑に乗っかったままでは自分を振り返る事はおろか

都合の良い解釈をしてしまい、問題悪化を招きかねないのではないかと感じています。




私は、以前、「たまひよ」や「こっこクラブ」を読んでいたのですが 

ここまで、赤ちゃんや幼児を守るための・・・
というか、不快にさせないためのマニュアルが必要なのかと常々に感じていました。
しかし、その頃、その事を言わせないような世の中が出来上がっていたことも
今、思えば、感じることのひとつでもあります。


当時、思ったこと言えば、自分の考える子育ては拒否されてしまう!
そのような風潮さえ、当時~今に至るまで感じてしまう世の中
だったと思います。


私は、流されていました・・・・・  



あまりにも完璧なマニュアルに、意思を伝える事のほうが面倒だったからです。
それどころか、 当時の自分の頭では、その思考についていくのが精一杯で
自分の意思さえ見失っていたというのが事実です。

その事実を、気づくことの難しさが分かるからこそ
自分の心を読むということの大切さを伝えなければならないと感じるのです。
誰でも、気づけるような事なのに、私たちは、気づくどころか
その思考に支配されていることを、知らなければならないのです。

私たちは、日常で、子供たちを叱る時・・叱る行為を
この思考に支配され・・判断して決断しているのではないでしょうか?

だからこそ、現代、家族間の問題が多発しやすい・・
けれど、・・・・
分かりにくい、分かりにくいからこそ、自分に負が無いと考えやすく
都合の良い思惑に、乗っかってしまう・・・

そんな自分を、見据えるためににも、
見ようとしない自分が問題を作っていることを知るためにも
自分の心を読むという作業が必要になるのだと感じています。

一瞬の言動は、振り返るのは大変難しいことだと思います。

だからこそ、自分の書いた文章を振り返る・・

その中に、自分の真意を見出すことこそ

このネットという場所にいる意味なのかもしれません
 


きんたろう




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空気読めよ!「文章から心を読む」

言葉の羅列には、意味があると思いませんか?

無意識な日記の中にも その人の欲求や方向性が現れているということを
感じたことはありませんか?

自分の書いた文章も、読み返してみると案外面白い自分を発見することが出来るかもしれません。

自分の問題を解決するとき、
必ず、読み返すという作業が必要になるのではないかと
そう思うからです。

自分の問題のみならず、家族の問題を解決しようと思うなら
自分の文章を振り返ることがとても重要になってくるのではないかと思います。

ネットという文化が根付き、ブログという容易く日記が書け
検索にも載り、人が集まり意見しあうことの出来る場所が提供されていることにが
これだけ発展してきた背景があるのかもしれませんね。

多数の人間が互いに、認証しあうことの出来るツールとして
これらの事は、広まることになったのです。
その事を踏まえて、なぜ人々は、喋ると言うコミニュケーションをうとましんでまで
ブログなどの、文字ツールに頼ることになったのでしょうか?


現代は、発言することに大変ストレスを感じる時代になってきたのかもしれません。
だからこそ、発言することの責任を放棄し、本心を文字に託すことによって
それぞれの心の形を、表現するようになったと考えています。

これまでネットで交流してきた人たちは、
文章が、とても上手でした、馴染んでいるといったほうがよいのかも知れません。
そして、文章が上手いからこそ見えてくる形もあるのだと思うのです。

 
それらの文章を読んでゆくと、文章全体は客観的にも関わらす
内容は、客観的とは言えないものが多く存在しました。 

つまり、事が起こった、その現状の時点で、文章のままのことを感じたまま・・
納得していない状態で、残り続けているのです。
だからこそ、文章にそのまま残り続けているのではないでしょうか?

つまり、ブログや日記などは、過去のことを思い返しながら書いてゆく方が
ほとんどだと思いますが・・・
思い返して返して、書いているにも関わらず、過去のままの認識で書いている・・

日記やブログなどを読んでいると、あからさまに考えの偏りを第三者から見れば
感じるのに、思いやりや罪悪感をまったく感じない文章
が綴られている事があります。

しかし、このことは、人間関係を重んじれば、触れないように、差しさわりのないように
”空気を読んだかのような文章という形で返事”として伝えられます。

空気読めよ!!」は、

自分の心を読みなさいという、アピールを回りくどく伝えているだけで
自分を見つめる為、他者に訴える事で投げかけてりる問題なのではないでしょうか?
これだけ、五万という人たちが集まり、
盛んに、「空気読め!!」と言い合っている姿を思い起こせば、
それぞれが、それぞれに、想いが交差し合い・・・
回りくどく伝えようとし、空回りしている鬱積が、社会現象をなっているだけではないのか?
そう考えてしまうのです。


現代の人間関係は、その場の認証をし合えないまま、
世代や感情がズレた状態で、関係が一旦打ち切られててしまうために
認証欲求というものが、ブログやネットという形で、噴出している
のかもしれません。
そういう意味で、文章を書く現代の生き方を逆手にとって
文章の中に、言動を探るということが自分認証の早道になると思うのです。

人の考えなど、自由でいいのではないでしょうか?
空気読めよ!」と自分が感じたとき・・
自分が何に触れて欲しくないのか、自分がどんな言葉を求めているのか?

そことをみんなで気づくため、創られた言葉なのかもしれませんよ。

きんたろう





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情けない・・・【心の闇は容赦ない】

家庭の中で、あからさまに悪いと分かっていても

その事を、責めることが出来ないのが私の役割でもあります。

そのつど、バランスをとるしかない自分がいつも情けなくて

それを、変えようと、させない過去が恨めしくて・・・

もどかしいのです。。。

心の闇を、待っている時間は、限られています。

どんな不快を排除しても、満足することのないのが心の闇だと感じています。


家族の中の、誰かを守ろうとすると

情けないほどの、結末が容赦なく待ち構えています。

それを体感すればするほど、、

心の闇の奥深さを、感じてしまうのです・・・・

本当に、情けない話です。

しかし、待つ時間がどれくらいあるか・・・・

分からなくても・・・・

待つしかないのだと・・・・

いつも、思い知らされるのです。。。


きんたろう




私は、今日、子供の心に傷をつけてしまいました。
もしかしたら、このような状況に陥るのではないかと
予見しながら、事態を作ってしまいました。

私は、子供に謝り、妻を罵ることで、
子供の傷ついた心に、バランスをとろうとしました。
しかし、心の闇は、決して、このことに気づいてくれようとはしないのです。

だからこそ、この心の闇に気づいて欲しいのです。
ここまで深い傷とならないためにも
すぐに気づけるあなたであることをいつもいのって
ブログを書いているのです。






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愛とは?【自分の考える愛】

愛ってなんだろうというトラックバックを頂きました。

この難しい質問は、私が問いかけたにもかかわらず

あえて記事として、アップされ、トラックバックまで掛けていただきました。

その、潔い性格に、感服をいたします。



ぽあん歩庵のぽあんさん


これだけ、難しい問題を投げかけ付き合っていただいたのに
私だけが、何も書かずにいるのは大変失礼だと思い、愛について書いてみることにしました。

物怖じせず、持論を書いていただいて本当にありがとうございます。

私も、ぽあんさんの勇気を借りて、自分の、持論を書いてみたいと思います。



スーパーなどで、赤ちゃん連れのお母さんとよく出会います。
その赤ちゃんと、目があってしまうことが良くあるんですけれども・・
思わず、ニッコリとしてしまいます。

目を合わせた瞬間、私は、ニッコリとしてしまうのです。
その赤ちゃんとは、初めてあったにもかかわらず、ニコリとしてしまう。。

私は、何でこんなことをしてしまうのだろうと、考えてしまうのです。
皆さんは、そんなことはありませんか?


私は、赤ちゃんのとき、周りのみんなに
そんな風に覗き込まれていたのではないか?

「私にも 抱かせてよ!」「私も、抱かせてよ!!」

その可憐さは、崩れそうにもろく 抱き上げれば壊れそうな美しい宝石のように
大人たちの目には映っていたのかもしれません。



それは、自分が大切にされてきたわずかな記憶だった人もいるでしょう・・・

変わりなく繋がり、大人になった人もいるでしょう・・・・・

しかし、その隔たりがどんなに深くとも、

人は、その記憶をたどろうとする!



それは、多分、、、、
誰にも変えられない。。。

何の愛情の、欠片も、受けずに・・

今、生きている人などないからだと、

断言できるからです。。



もし、赤ちゃんを見て、ニッコリとしてしまったなら・・

記憶がなくとも、愛を受けたのではないでしょうか?

子供に何かをしてあげようとした延長線上には

何かがある・・・そう、思いませんか?




私たちは、本物の愛を受け取ったとき・・・

それをどうしても伝えたい衝動に駆られるはずです。

赤ちゃんに、ニコッと笑顔を見せた時、本物の愛情を受け取った瞬間を
振り返るのではないでしょうか?

振り返ったそのひと時を、受け入れ・・・

より多くの人たちに、その笑顔(感情)を注ぎ続け・・・注いだ相手から・・
帰ってきた笑顔(感情)こそ、疎通を導き、
愛というものの真の意味を受けることが出来るのではないかと
そう、思っています。

多数を受け入れ、認めることが、内なる個を受け入れ認めることに繋がり
ありのままの自分で、人とぶつかり合える・・・・

そんな、わだかまり無い状態で、相手に伝え本物が見えたとき
それが、愛しく失いたくないものだと感じたなら・・・
愛なのかもしれません・・・・




愛とは?」何なのでしょう?

私にも、よく分かりせんが。

自分なりに考えてみました。


きんたろう

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支配される共依存・支配する共依存

DV・恋愛依存・母子依存・いじめ・グループ(友人関係)
など、あからさまな共依存から、見えにくい共依存
それぞれ、どちらか一方でも窮屈だと感じた時
その関係の根の深さとは関わらず、

共依存という関係が存在しているという事を
認識してもらう為に、書くことにしました。 

この窮屈が作り出す人間関係は、現代の家庭の中に
ごく当たり前のように入り込み、風通しの悪い家庭のなかで
育つ子供たちの心を荒れさせているように気がします。

もう、他人事のように、共依存ってなんだろう?
このような意識レベルでは済まされない問題となっているのだと考えています。


その上で、ひとりひとりの現在の家庭を考えるきっかけと成っていただければ
幸いだと思います。

まず、DVは、圧倒的な身体的心理的暴力によって相手を支配する事だと
以前、フラッシュバックと映像の恐怖という記事に書きました。
興味がある方は、一度読んでからこの続きをお読みください。

DVの場合は、徹底的に相手を観察する事により 、
相手を窮屈な状態に追い込む事で、身動きできない状態を作り
そのプレッシャーにより 正常な判断が出来なくなり
怯えた精神状態に粗を見出され付け込まれて行きます。
怯えれば怯えるほど共依存という深みにはまってしまうのではないでしょうか?


恋愛依存の場合、自分が相手から受けた最高の愛眼の目を求め
その一瞬、満ち足りた気持ちを最高のものとし
その最高なものを求めるがあまり、愛情確認を繰り返し、
不安を打ち消す為に、
自分に目を向けさせようとさまざまな理解不能な言動をします。

DVも恋愛依存も、あまり変わりないと考えています。
男性の場合は、暴力、女性の場合は、自傷や究極の選択をさせる事で
依存者の過去への執着に取り込まれていく事になります。

その窮屈な関係の中で 相手の選択は狭められ
道を選べなくなった状態を(逃げ場をなくす考え方)植えつけれられるのです。

その窮屈な関係を作ってゆく工程の中で、少しでも居心地の良さを感じはじめたら
共依存という、いつか壊れる関係の始まりなのかもしれません。

※この場合の居心地よさとは、
 「私が居なければ死んでしまう」など自分が必要とされる事

これらの関係は、依存者と引き合う相手を選ぶ事で成り立ってゆきますが
引き合う傾向とは関係なく、健全な心を持つ人も過去の執着に巻き込んでいく事から
この共依存という言葉が使われるようになったのではないかと思います。



これらの引き合いの傾向など関係なく起こるのが母子依存ではないかと考えています。
子供に親は選べないからです。
本来は、DVや恋愛依存など、これらの行き着いた形として夫婦になり
その下に生まれた子供に、起こっていたのが母子依存による共依存ではありましたが

現代では、父親、母親に、これらの表向きの傾向が見受けられ無いにも関わらず、
共依存による関係の起こりがちな、子供による暴力や自傷、援助交際などの
問題がこんなにも起こっているのかを考えなければならないと思います。

そして、その途上にいる、不登校、引きこもり、いじめなどのも
同じ線上に居る事に注目しなければならないのではないかと思います。

その線上の、もとにあるのが私たち、ひとりひとりの家庭なのではないかと思います。 
だからこそ、原因追求を、まず足元から見てゆく必要があるのではないでしょうか?

しかし、これらの事は、一般的に、認識されていないために
自分自身の家庭を振り返るということは不可能に近いのではないかと感じています。

その事を踏まえて、これから、一見 何事もないかのような共依存の形の例を
説明してゆきたいと思います。

一見何事の問題を抱えていない家庭
妻は、旦那さんの言うことを良く聞き従い、義理父、母に服従し
他人から見れば、うらやむ嫁がいました。

いつも、その人は、家庭の問題を一人で抱え込んでいました。
旦那が、ああしてくれない、義理母が、何もしない。
それぞれ(旦那、義理母父)子供のことは猫可愛がりで
叱るのはいつも自分ばかり、家事育児は自分ですべて背負い込み
いつ帰ってくるか分からない旦那を待ち それに合わせ食事の支度をする。

子供の頃からしっかりしていて、非の打ち所がなく彼女は自立していました。
旦那さんも、とても温厚な人だと私は認識していました。

結婚して十年たっても私の印象は変わることはありません。

旦那さんの印象が変わらないにもかかわらず、その家庭は何かが違っていました。

旦那さんは、周りのことを気遣わず思った時間に思ったように動く
それに振り回されるかのように、家族全体が動く。。
彼女は、いつも回りに認めてもらえるように(旦那、義理父母、周りの親戚)
その旦那を中心とした関係に評価される言動
を行ってきました。

その事が、いつも私には滑稽に写っていました。

いつも、旦那さんのことが脳を支配しているのです。
旦那さんや周りに認めてもらうこと、認めてもらうことと同等に
沢山の気遣いをし、そのことで、旦那さんの自立を奪う事になりました。

しかし、その事が、余計に旦那さん(だらしない)を変えるという意欲に
自己評価を見出してしまう悪循環
となってしまったのだと思います。

旦那だらしなくなる=妻、旦那の増える問題ばかり考える=共依存

彼女の脳は、そのことで一杯で、子供が話しかけても
いつもうわの空です。

そのため、いつも口は一文字に食いしばり表情を閉ざしています。
その一文字の口元から感情を引き出すために
長女は、一生懸命良い子を演じ 母親に媚を売り
弟は、旦那を演じることによって感情を開こうとし、暴走ばかりして
いつも、叱られていました。

いつも子供たちに向けられる目は、その子供たちを見てはおらず、、
頭の中では問題ばかりに気をとられ子供たちを透視するかのような眼差
しなのです。
子供たちが、懸命に頑張っても、いつも違う方向を見ている人に
意思表示は出来ないのです。

この空回りした状態が、いつしか愛情への強い執着と変わり 自立を妨げ
愛情への強い欲求がやがて、他者へと向けられ依存心の強い人間を作り出します。
他者へのコミニュケーションがうまくいかない場合家庭内で問題が起こりうる
可能性が高くなり、家庭内で起こる結果となったのが
現代のさまざまな問題(子供の暴力、引きこもり、自傷)なのではないかと考えています。

そして、依存しあった人の罵り合い(共依存)が殺人に発展することもあるのです。

私たちは、支配する共依存も、支配される共依存もしっておく必要があります。
今回は、最も分かりやすい支配されることによる共依存について書きましたが。
現代の、共依存はもっと複雑で分かりにくいと考えています。

以前、子供への質問と共依存の関係について触れてみましたが
たかが質問で共依存へ誘導できるのが現代の家庭で起こっている
現状なのだと考えています。

きんたろう




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