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受け継がれる心【ドラマ:熱血教師SP】

先日、浜ちゃん主役の熱血教師のドラマを見た、

そこには、

沈黙する瞬間(待つ時間・待ってあげる時間) 

開放する瞬間(感情をあらわにする)

葛藤する瞬間(自分にとっての心地よさを判断する)

判断する瞬間(心地よさを自分で決める)

勇気の瞬間(言動として表に出す)

決意の瞬間(ゆるぎない自分を確定する)

結束の瞬間(揺ぎ無いもの同志が集まりお互いの意思でまとまる)

感動の瞬間(揺るぎ無きもの同士の結晶)

伝わる瞬間(不動のものを得る)

取得する瞬間(次に伝えようとする意思)


これらの事は、苦・悲・怒・悪(食うか食われるか)など、

ネガティブな経験があるからこそ

光り輝くのではないだろうか?

その経験を用い、伝えようとする努力こそ

真の誇りと。唯一呼べるものではないのだろうか?

もし、本当に誇りがあるとするのなら・・・・・・・・・・・・・・・

負ける事を惜しまず伝えて欲しいのです。

昨日のドラマは、そんな感じを私に教えてくれました。

取得したものは、次に必ず伝えなければならない・・

それが、今生きているもの達の定めなのではないだろうか?





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テーマ : いじめ
ジャンル : 学校・教育

子供自立のヒント【大人の意識を変える】

母性との癒着を絶つという文章を書いてきましたが・・・
何故これらの事と、子供の自立が関係しているのかまとめとして書いて行きます。


子供の安全や快適さばかり追い求めれば、切がありません。
そして、それを追い続けていったからといって
これからの世の中は変わることはないでしょう。
それどころか、ますます精神的に複雑になり、子供たちにとっても私たちにとっても
居心地の悪い社会が変な意味で進化してゆくのではないかと考えています。

続きを読む

テーマ : 子供の教育
ジャンル : 学校・教育

情緒【溢れる想い・立ち上がる力】

自立のヒントを書く前に、どうしても書いておかなければならないと思い
力量と情緒の関係について書く事にしました。


これまで、キャンプを通して、母性との癒着という事を書いてきましたが、
母性との癒着とは、それぞれの人たち一人一人の中にあり
それぞれの人の中にある社会性(父性)によって自ら絶たなければならない・・
私はそう考えています。

【過干渉傾向の部分】
癒着を絶たなければならない理由を7つほど書いてきましたが・・
逆に考えれば、これらの事を子供たちは癒着によって日々失いながら成長している
事になるのではないかと思います。
つまり、母性という大儀の元に、子供たちが本来持つべき情緒や力を奪われながら成長
していると
言う事になるのではないかと考えています。

【過保護傾向の部分】
奪っていく見返りとして、食べ物やおもちゃやDVD・ゲームなどを与える事により
母性のイメージするものとして、イメージ通り子供たちを操作してきました。

この、さもまったく異なる傾向であるかのような 過保護・過干渉
融合しながら同じ方向に偏った状態こそ、
現代の子供たちに表れている
不可解な傾向ではないでしょうか? 誰にとっても理解不能な状態を作っている
のではないかと考えています。


過保護と過干渉のバランスによって 現代の子供たちを表現してみると
過干渉のウエイトが高いと、一見おとなしそうで静かな子供になる傾向が強く
過保護(見返り)のウエイトが高いと、落ち着きがなく自分中心的な子供になる
傾向が強いのではないかと考えています。
しかし、本来子供たちが持つべき情緒や力を奪われている点では同じだと感じます。

そして、情緒や力を持たない集団が、小さな社会を形成している。
情緒や力を持たない集団、つまり、言葉では伝わりにくいものを
感じる能力を奪われてきた集団、思いいれを感じ取る能力を奪われてきた集団
なのでないでしょうか?その集団の言葉のやり取りやコミニュケーション取り方の現在の形が
学校であり学級であり、学級の中のグループに表れているのではないでしょうか。
その集団がもたらしている問題こそ、今、起こっている教育問題として
浮き彫りになっているのです。

そして、起こっている教育問題をひとつづつ考えていくと
ある一貫したものがある事に気づかされてしまいます。
人々は、詳細に問題の分析をし、問題改善やフォローの事ばかり考えていますが
私は、現在の教育現場で起こっている子供の問題のどれにも
人間味や温かさが感じにくくなっている
のではないかと思います。
そして、これが、一環している事であり 最も考えなければならない点で
あるのではないでしょうか?

子供たちの問題を議論する前に
なぜ、私たち大人が 教育問題を論議する中 議論の中に人間味や温かさを感じる事が
出来にくくなっているのかという事を考える必要があるのではないかと思います。

互いに自分の有利な方向へ導く為に 互いの粗を探しあい戒める合うのか?その論議の末、現在起こっている不登校やいじめ、学級崩壊などの問題に
何故、人間味がないのか?温かさを感じないのかという事を考えてみれば
違った意味で新しい考え方が生まれるのではないかと感じています。

そして、この大人達の議論の中の重苦しさこそ、現在のさまざまな教育問題の
解決のヒント
になるのではないかと考えています。
失言に怯え、言葉を選び発言する、それぞれの想いさえ伝えられないような
重苦しい雰囲気を作っているものを突き止めることこそ 子供たちの小さな問題を
解決する方法
に繋がっていくのではないかと考えています。

そして、子供の世界となんら変わりない事を、私たちはしているのだという認識
持たない限り 自分達が抱える家庭の子供たちの問題を 認識し捉える事は
出来ないのではないかと感じています。

まず、自分を認識し子供を認識する、大人側の家庭を認識し子供側の家庭を認識する
大人社会を認識し子供社会を認識する。
この基本的な事を、複雑だからと言う事を理由に目を背けているのではないでしょうか?

さも、私たちは、子供を認識し 子供側の家庭を認識し、子供社会を認識
している・しようとしている、

錯覚にうぬぼれているだけで、理解不能な子供たちへの
違和感だけを議論しているだけではないだろうか?

その責任を誰かに向けたり、追及する事で気を紛らわしているのではないだろうか?
そして、自分たちのことは見ないようにしている。後回しにしている。

よく聞く言葉だが、「親が変わらなければ 子供は変わらない」その通りだと思います。
ならば、社会が変わらなければ、子供社会も変わらない のだと思います。
社会という大きな物事として捉えようと、家庭という単位で物事を捉えようと
親子という小さな単位で物事を捉えようともなんら変わりはないと思うのです。

そして、この認識が変わらない限り、現在自分が抱える問題を解決する事が
難しいのではないか、遠回りしているのではないか。。
そう感じます。
何もかも、他者のせい、学校のせい、社会のせいばかりに意識が向いていては
まったく違うものとして捉え
ていては、子供に自立の道を示す事は出来ないのだと
私は、考えています。
私たち一人一人の認識が、社会を変えてゆく 家庭を変えてゆく
親子関係を変えてゆく、その一歩になるのではないでしょうか。。


子供の自立のヒントを書く前に、どうしても知っていただきたい
認識を変えていただきたいという願いをこめて書きました。





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ジャンル : 学校・教育

無力感と思いやり【互いを生かしあう方法】

先日、無力感を味合わせられた先生の話を書きましたが・・
最終的には、夫婦間の問題や社会問題まで繋がる事になりました。
さて、この社会問題まで広がる無力感が心を荒れさせ 
違う場所で人々が 互いに責め続ければ おそらく、もっと社会は荒れていく事でしょう。



何気なく無力感を味あわせるということ
自体を"知らなければ" "意識しなければ"改善する策さえも見つからないと思います。
読んでいただく方の中には、思わず目を背けたくなるような事も書かなければなりません
しかし、ここまで書かなければならないほど社会は複雑になっているのです。


もし、本当に、今、抱えている家庭の問題や自分の心の問題を解決しようと思うなら

無力感を与えてきた 自分にいつか気づかなければならないのです。
無力感を与えられてきた、自分にいつか気づかなければならないのです。


そして、自分を生かすために 人を生かすという事に気づく事が出来れば
自分の周りにいる家族 誰一人、ダメな人間はいないということを知る事になるのです。


さて、無力感を味あわすという事を もう一度 振り返ってみたいと思います。
ほんの日常の些細な事の中にも、無力感を味合わす言葉がや視線・雰囲気など
まったく意識せずに使われ、平然と容赦なく行われているのです。

そして、それは正しいというあたかも大切なものかのように行われます。
子供が何かしようとすると、じ~っと見つめ 自分が気に入らければ
「ああっ!貸してごらん、これはこうじゃない こうするの」・・・
子供はたちまち無力感を覚えることでしょう。


これを、毎日繰り返すとすれば 圧倒的無力感に「どうせ、僕が何をしても叱られる」と言う投げやりな心を作り出します。
そして、子供は行動を起こすたびに、「また、叱られる」「また、直される」
という事を常に頭に描くようになり 親への信頼と気力を失います。
その強制力により 子供たちは 荒れる心(ウザイ)か荒れる心を内部にこめるかという
分岐点が生まれてくる
のではないでしょうか?


母親の作った料理を 当たり前かのように食べる父親 
ただ、腹が満たれば良いかのように食べ物を口に放り込むだけ・・・
これだけでも、毎日繰り返せば 母親に無力感を味あわせる事になります。
それを見て育つ子供たちも、同じようになる事でしょう
そして、家族中で 母親に 無力感を味合わせることになり
「どうせ、私は作るだけの人」「何の為にいるの 私?」と投げやりになり
荒れた心が、家族の言動に目を向けさせイライラしたり
子供を叱ってばっかりという事になるのではないでしょうか?


父親が、子供たちをたくましくする為に キャンプに行こうと提案しました。
「誰が準備するの!」「子供たちをちゃんと見ていてくれるの?」
「なんかあったらどうするの?」
行く前から 自分の都合と不安を訴え
話も聞こうとしないで 色々 理由をつけて父親の意見を却下する。
その正当性を突きつけられ何も出来ない父親は無力感に、家庭に興味を無くす。


ほんの些細な、会話の中にも 人に無力感を与える事が出来るのです。
そして、その小さな積み重ねが 家族間の大きな溝を作り出すのではないでしょうか?


それぞれ、家族の誰一人でも、この状態に陥れば、やがて、家族中が無力感に
心荒れ果て覆いつくし、その弊害として問題が起こる事になるでしょう



それぞれ、家族の誰しもプロセスがあるのです。だからこそ、そこに・・・

”思いやり”というものがあれば、家の中は変わっていくのではないでしょうか?
そのためには、もう一度、思いやりという言葉を考え直してみる必要があるのです。


さて、思いやりとは 一体なんでしょうか?自分の疲れたときに、自分の都合よく タイミングよく相手が差し伸べる言動でしょうか?
自分が悲しい時、自分の思っている通りの慰めを相手がいってくれることでしょうか?確かに、このような事が出来る人もいますし、そういう方は、
”思いやりのある人”として、周りの人たちから言われている事だろうと思います。


しかし、これらは、自分の欲求を上手に満たしてくれる人、気配りの出来る人
なのではないでしょうか?


人は、一定の距離を置いた関係(恋人)の時は思いやりがあって
距離が縮まれば(結婚)思いやりが無いとお互いになりがちです。
何故、そんな事になるのでしょうか?
私たちは、思いやりがある という事を間違って考えているのではないでしょうか?


思いやりとは、自分の生きてきた中で 思いいれのある部分に
存在するのではないかと思うのです。

思い入れ、つまり、その人の感動や苦労してきた事や努力してきた事
物凄く楽しかった事 嬉しかった事の中にあるのではないでしょうか?

感動・苦労・努力 その中に、嘆きや悲しみ喜び怒りがあり、
その経験の中に強く感じた思いの記憶・・・・

その記憶を、今、対峙をしている相手 行動をしている相手に対して感じ取り
あふれ出す感情を言動する事ではないかと思います。

相手の言動を見聞きし、共感し、思いやれる気持ちが溢れ言葉になったものが
“思いやりのある言葉”なのではないでしょうか?


映画を見て、泣けるシーンはそれぞれ違います。ワクワクすることもそれぞれ違います。
そして、誰もが、自分の思い入れのある事を誰かに理解されたい 伝えたいはずです。もし、本当の意味で 自分の思い入れを理解してくれる人がいるなら。
伝わったと感じる事ができたなら、多分、嬉しくてたまらないはずだと思います。
感動で、涙が出てくるかもしれません・・・・


そして、自分の思い入れを理解してくれた人の思い入れを感じよう、、理解しようそう、懸命になるのではないでしょうか?
そこに、互いの思い入れという共通のものが生まれ 
互いを思いやるという事になるのではないでしょうか?


今、一生懸命 鉄棒の練習をしている我が子がいます。やめようとしません。
時間が無いにもかかわらず、我が子の思い入れ感じよう、理解しようと
心の中で励まし 見守り、待つ事 そこに、二人の思い入れが生まれるのです。
やり遂げた後、二人でニッコリと笑い合う、そこに、信頼と気力が満ち
互いを思いやる気持ちがいつしか育ってくるのではないでしょうか?



互いに、思いやりが無いと嘆いていては、思いやりなど生まれてくるはずはありません。相手の思い入れを、感じようとし、理解し 育てようと
しなければ生まれてこないのです。
思い入れを育て、思いやりを育む、人を生かし、自分を生かすそこに互いを生かしあうという事の意味が見えてくるのではないでしょうか?


いつも、くだらない事を言っているなと思っている。父親の一言が
子供の心を 和ませたり楽にさせることだってあるのです。
※ちびまるこちゃんを見て心和みませんか?
今、一緒に暮らす人たちは、縁あって一緒にいるのだとすれば、
互いに無意識に無力にしあっていないかを考え もし、その事に気づいたならば・・・
気づいた人が、気づいていない家族の思い入れを育んでみてはいかがでしょうか
もしかしたら、自分が生かされている事に気づくかもしれません。
最後に、初めから親の事を愛していない子供はいないということを思い返し
父親、母親 互いにどちらを無力にしようとも 
子供は見抜いているのではないでしょうか・・心痛めているのではないでしょうか


今からでも遅くはありません。子供たちが無力感の塊になる前に
大人たちが、少しでも早く気づける事を願いこれからも書く事にします。


思わす目を背けたくなった人たちには、大変申し訳ありません
私が、あまり、幅広く交流しない理由は、相手を知ってしまうと
その人の事が頭をよぎり、核心を書けなくなってしまうというのが理由のひとつです。
コメントを頂く方には、大変失礼な事もあるかもしれませんが
ご無礼をお許し下さい・・・・





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環境と荒れる心【無力感】

四月に学校を転任になり 5ヶ月ぐらいたつ 私の友人の中学の教諭
遊びに来たので、しばらく話す事になった。

その友人は、とてもクールな性格で、冷静、とても客観的なものの見方をする人物だ。
しかし、いつもとは違う・・・
何か話していて、変な感覚にとらわれた。

学校の話ではなく 子供会の話をしていた。
妙に投げやり、、どうでも良い めんどくさい このような言葉が耳に障る。
友人は、このような言葉を発する人ではなかったと認識していた。

どうも気になって、尋ねてみる事にした。
「今の、学校とよっぽど反りが合わないじゃない?」
ハッ!とした友人は 何故、その事が分かったのかと言わんばかりに
照れくさそうに、今 教えている生徒の事を話し始めた。

まず、父兄の話から始めた。挨拶も出来ない父兄、友達感覚で話す父兄、
そのような内容だったように思う。
まず、父兄の話からはいらなければ、どう生徒の事を表現してよいのか
分からないという感情の流れがあったのだろう。
それだけ、友人の心には その生徒達の事が重くのしかかっているのを感じた。

色々と、自分に言い訳(弁護)しながら、少しづつ 生徒の事を話してくれた。
精神安定剤を飲んでいること、家では決してしてこなかった愚痴を言っている事これらの事を織り交ぜながら、自分の無力さを認めつつ話す生徒の話・・・

一体何が、この友人である先生を苦しめているのか?どんな生徒たちなのか?
皆さんも一緒の考えてみませんか?




友人である、先生を苦しめる生徒達とは一体どんな生徒なのか?
続きを書こうと思います。


一体どういう生徒なのだろう? よほど生徒達が言う事聞かないのか?
問題を起こす生徒達が沢山いるのか?妄想をしながら話を聞いてみると・・

まず、教室に入った途端 異様な雰囲気なのだという・・・
クラス全体が、静まり返っていて、無表情、無反応とのことだ・・・
まるで誰もいない部屋で、授業を行っているような感じだという。

その異様な雰囲気に 1時限という時間の長さを途方も無く感じ
一方的に喋る自分の声に 聞かれているという事さえ伝わってこない
集団のプレッシャー鉛のように心にのしかかる。

一個人からでも、無視されれば かなりの心の負担がかかるというのに
クラス全体から この雰囲気をかもし出すものは一体何なんだろう。

友人である先生は、私から見ても かなりのキャリアを持ち 学年主任も
何度か勤めたこともある。部活動での指導力も それなりの経歴を持つ
私から見ても、かなり客観的にもを捉える能力があると感じていたし
話していても、飲み込みの速さや要点を捉える能力もある。


彼なりに、この半年間、彼の持っている経験や知識を使い生徒の気持ちを
試行錯誤して感情を引き出そうとしたに違いない。
その結果を、今まさに 私と会話し 無常の丈をぶちまけているのだと感じた。

前回 話した、彼の口から出る 投げやりな言葉はここから来ているのだと推測できる
人間は、圧倒的無力を感じた時、改善する力の無さに言い訳をする。
「こんな生徒は初めてだ!」「手の尽くしようがない」このような言い訳をしながら
これまでもってきた、先生としてのプライドも キャリアも全て否定され
生徒の事を 何も改善する事が出来ない自分を投げやりにする事により
言い訳し自分を逃しているのだ。
そして、言い訳すればするほど 心が荒れるのを感じることだろう。。。

ここに、荒れる心の原点がある

家庭でも同じ事が言えるだろう、子供がどんなに努力しようとも
圧倒的な親の力で、子供をねじ伏せ無力感を味あわせ、改善されない環境作り出せば
どうでも良い。。めんどくさい。。ウザッ。。
このような言葉が見かけられることが多くなるのではないだろうか?
その言葉さえも封じ込めれば、もっと心の奥底で心荒れる事になるだろう。

話を戻すが、始めに述べた 
このクラスの生徒達は 家庭で無力感を味あわせられた集団なのではないだろうか?
無力感を味あわせられ、荒れた心が集まり ひとつの小さな集団から
クラスまるごと環境を汚染
して行ったのではないかという考えです。

イジメにしてもこの事が言えるだろう・・・
いじめられる子供を、徹底的に無力感に落としいれ改善されない環境を作り出す家庭で味わった 無力感に荒れた心を吐き出すかのように 相手にぶつける。
まるで、味わったものを見せ付けるかのように・・・・・

引き篭もりにして考えてみると
対人関係・いじめ・過保護・過干渉により 味わった無力感を 味わった無力感の分だけ
引き篭もる事により 親に、無力感を味あわせ 訴える。。
そして、改善されない引き篭もりに 無力を感じ心荒れ互い(親子)に傷つけ合い
この事に気づくまで終わる事はないかもしれない。

最近話題の 高等学校指導要領のこともそうだが
確かに学校が悪い、保護者の言い分は分かるし 非の打ち所がない 
しかし、非の打ち所がない抗議を 責任者にぶつけ追求し訴え
言い訳する事も出来ず、平に謝るしか出来ない責任者を
追い詰めるだけの問答を繰り返すなら なんら、家庭でやっている事と変わりない
のではないだろうか? 学校の長である人に無力感を味あわせ心荒させ
気力を失わせ、学校全体を覆いつくす環境を作り出すのではないだろうか?

夫婦間でも この事が言えるだろう
例え、どちらが正当であろうとも 正当性を持って一方的に攻め続け
無力感を味あわせる問答
を繰り返せば、心は荒れ果て気力を失い
冷たい空気が やがて子供や家庭全体を覆いつくす環境を作るのではないだろうか?

例えば、父親が外で子供を遊ばせようとする 母親は宿題があるからだめ!たったこれだけの事でも、自分の力では、子供を外で遊ばせる事も出来ない無力を知るそして、この問答を繰り返せば これまで書いた事と同じような状態になり
無力感を味わい荒れた心に 「どうせ、俺が何を言ったって聞きはしない・・」という風になり、無力感が 全てを投げやりにしてしまい。
ダメ父親、無関心父親という 母親から見た父親像が出来上がってしまう

いや、作り上げるといったほうが理解しやすいのかもしれません。

父親と母親、上の例が逆になったとしても同じ事になるのではないかと思います。
どちらにしても、無力感を与える言葉を自分が発している事に気づかず
互いを生かしあう事を 否定し合っていれば 気力(信頼)を失って行くだろう。
そして、その事が家庭全体を覆いつくす環境を作るのではないでしょうか?

なぜ、夫婦間の事を最後に書いたかというと・・・
今、起こっている社会問題、イジメ、不登校、引き篭もり、学級崩壊など
これらの事を、考え 本当に改善したいと思うなら まず、一人一人が
自分達の家庭を もう一度見直して、互いを生かし合うという事を 
大人である私たちが、まず、考え直してみる必要があるのではないだろうか?
そして、今 起こっている家庭内の問題も このことなくして根本的解決はないと感じるのです。。。

物事が改善される時、必ず、人は人を生かし合い 認め合うという現象に行き着く
のではないだろうか?
もし、これから、家庭で抱える問題を改善しようと思うなら
    
失った心(無力感・荒れる心)の何倍もの心を 生かす事・生かされる事で得なければ
改善(希望を持つ)するという気力(信頼)を 取り戻すことは
出来ないのではないかと思います。

まず、家族の誰か1人 この事に気づいた人がいるなら・・・
これを読んで気づいた人がいるなら・・ 今から、始めればいいのです。。

そして、そこには、穏やかな心が・・素晴らしい環境が・・ 
いつの間にか出来ているのかもしれません。

私の友人である先生が、これから、どのようになってゆくのか分かりませんが・・
無力感(喪失感)で荒れる心に信頼(気力)を失い互いの溝を深めてゆくのか?
この事に気づき、気力を振り絞り生徒を生かすという事に活路を見出すのか?


見守って行きたいと思います。




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